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福岡高等裁判所 昭和29年(ネ)523号 判決 1955年4月27日

控訴人(原告) 矢野齊士 外五名

被控訴人(被告) 岡野バルブ製造株式会社

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は、控訴人等の負担とする。

事実

控訴代理人は、原判決を取り消す、被控訴人が控訴人等に対し昭和二十五年十二月八日附でなした解雇処分は無効であることを確認する、訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする、との判決を求め、被控訴代理人は、主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張並びに証拠の提出、援用、認否は、控訴代理人において、

(一)  米軍大佐ミツクルの干渉

米軍大佐ミツクルは、本件解雇処分発表の前日、控訴人矢野齊士外数名の組合幹部に出頭を命じ、レツドパージがG・H・Q・の至上命令であり、これに反対すると、どのような目にあわされるかも判らないような口ぶりをもらして、レツドパージ反対闘争に圧力を加えた。このことは、控訴人等を含む全組合員のレツドパージ反対闘争を弱め、控訴人等が退職金を受取らざるを得ないようになる要素の一つになつた。

(二)  控訴人等に対する逮捕状について、

昭和二十六年一月中旬頃控訴人古家を除く全控訴人は、住居侵入罪の嫌疑で、逮捕状を出された。このことは、官憲の圧力によるレツドパージ反対闘争の弾圧であり、控訴人等の退職金受領には、この事件が大きな圧力となつて響いた。

(三)  家族に対する圧迫、

控訴人古家を除く全控訴人は、右逮捕状が出されている間、自宅に帰ることができなかつたが、その間に、被控訴人及び一部の組合幹部は、控訴人等の自宅を訪問して、解雇反対闘争の無意味であることを説得し、控訴人の家族を通じて、控訴人等の自由意思に影響を与えた。

(四)  組合費及び闘争資金の遅払について、

組合費及び闘争資金は、被控訴会社が組合員の賃金から天引して、組合に納入することになつていたが、本件解雇当時被控訴会社は、約六ケ月の組合費及び闘争資金の納入を怠つており、そのため組合は、その日その日の活動費にもこと欠く状態であつた。右組合費等の遅払は、会社と組合との合意によるものではなくして、組合の度重なる要求にも拘らず、会社が納入すべき金を納入していなかつたのである。組合費及び闘争資金は、組合活動のエネルギーであるから、会社がその支払を怠つていれば、それだけ組合の闘争力を弱めることになる。そして組合の財政難が、レツドパージ反対闘争を弱体化し、控訴人等の生活を窮迫させた一要因となつていることを考えると、被控訴会社が組合費等の納入遅延の責を負うべき立場にありながら、控訴人等において、本件解雇に対する闘争を中途で止め、退職金等を受取つたと主張するのは、当らないというべきである。

(五)  遅配賃金の支払拒否について、

本件解雇当時、被控訴会社は控訴人等に対し、約二ケ月分の賃金支払を怠つていたが、それにも拘らず控訴人等を解雇した後、退職届を出さねば、遅配賃金を控訴人等に支払わないという態度をとつた。遅配賃金の支払ができるのに、これを支払わないのは、労働基準法第二十四条違反の犯罪行為である。被控訴会社がこの犯罪行為を敢てするに至つた動機は、生活に困つた被解雇者に退職届を出させるための餌として、遅配賃金を利用したものとしか考えられない。労働基準法違反の犯罪行為で被解雇者を苦しめていながら、その罠を罠と知りつつ退職届を出して(その責任が控訴人等にあるとしても)、退職諸手当や遅配賃金を受取つた控訴人等の行為をとらえて、雇傭契約が合意によつて解除されたとか、解雇後その効力を争う権利を放棄したというのは、公平の原則を無視するものであり、更にこのような罠をしかけた被控訴会社が、退職届を出す控訴人等の真意を知らなかつたというのも考えられないことである。

(六)  離職票交付の拒否について、

使用者は、労働者が離職して失業した場合には、離職票を出さねばならないのであつて、労働者が解雇の効力を争つていようとも、離職という事実が発生したならば、使用者には離職票発行の義務があり、労働者は、その離職票によつて、失業保険金の給付を受け、それで当面の生活を支えながら、離職に不服であれば、反対闘争を続けることができる。ところが本件において、被控訴会社は、控訴人等が退職届を出さない限り、離職票を出さないという方針に出たのであつて、これは法に違反して敵の糧道を絶つ卑怯なやり方である。被控訴会社がこのようなことをしていながら、控訴人等において、退職諸手当や、失業保険金を取る手段として退職届を出したことを、合意による雇傭契約の解除であると主張したり、退職の意思のない退職届であることは知らなかつたというようなことがいえる筈がない

(七)  解雇予告手当の支払拒否について、

使用者が労働者を解雇しようとする場合には、被解雇者に解雇予告手当を支払わなければならない。右解雇予告手当は、解雇を異議なく承認しなければ、その支給を拒否できるというわけのものでなく、解雇通告と同時に労働者に支払わるべきものである。本件において、被控訴会社は、この予告手当を、控訴人等が退職届を出さない限り、支給しないという方針に出たのであつて、これは前各項に述べたと同じ理由で、不当たるを免れない。

(八)  組合事務所への立入禁止について、

被解雇者に対し、工場、事務所への立入を禁止する場合でも、組合事務所や、食堂、病院などは、立入禁止区域から除外するのが当然である。ところが本件に当り、被控訴会社は、控訴人等を相手方として、無謀にも組合事務所を含む全工場への立入禁止の仮処分を申請し、福岡地方裁判所小倉支部は、軽卒にも、右申請を容認したのであるが、右のように被控訴会社が明らかに違法な仮処分命令を申請し、裁判所にその決定を出させたことは、控訴人等の解雇反対闘争において、控訴人等を組合員大衆や他の組合幹部から切り離す役割を果し、解雇反対闘争の大きな障害となつた。被控訴会社が、このような不当な申請をして、解雇反対闘争を妨害しておきながら、反対闘争を一時止めて退職金等を受取つた控訴人等の行為を非難するのは不当である。

(九)  民法第九十三条及び公平の原則、クリーンハンドの原則について、

被控訴会社は、以上のような数々の違法不当行為を敢てして、控訴人等が退職金等を受取らざるを得ないような状態に追いこんだのであるが、これは、被解雇者に退職届を出させるための意識的な工作である。すなわち、このような工作をした被控訴会社は、被解雇者が生活に窮した揚句、退職届を出して退職諸手当を受取るに違いないと予期していたと見られるのである。ところで控訴人等が、退職届を出して退職諸手当を受取つたのは、本当に退職しようという意思によるものではなかつたのであるが、相手方である被控訴会社は、右の事情を知り、又は知り得べき立場にあつたのであるから、控訴人等の本件退職届の提出や、退職金等の受領は、退職という法律効果を生じない(民法第九十三条)。そして被控訴会社が右のような違法行為をしながら、雇傭契約が合意によつて解除されたとか、解雇を争う意思を放棄したと主張するのは、公平の原則や、クリーンハンドの原則に反する。清らかな手をした使用者なら、そのような主張も許されるであろうが、不正に汚れた被控訴会社には、このような主張をする資格がなく、そういう主張自体公平の原則に反するものというべきである。

(十)  民法第九十条違反について、

控訴人等がいずれも熱心な組合運動家であつたことは、各人の組合経歴に照して明らかであり、控訴人等が有力な組合幹部であることが本件解雇の一つの原因となつていることは、弁論の全趣旨から見て疑いないところである。そうであれば、退職届が控訴人等の真意に反しないものであつても、労働組合法第七条第一号違反事項、すなわち相手方の違法行為を容認する事項を内容とする法律行為であるから、民法第九十条に違反し、その法律行為自体が無効である。合意によつて雇傭契約解除が成立したという立場を取つても、同様である。

と述べ、

被控訴代理人において、控訴人等の右主張に対し、

(一)  組合費及び闘争資金の遅払について、

被控訴会社が組合の申出によつて、控訴人等主張の如く、組合費等を各従業員の賃金中から、その指示に従つて控除し、組合に渡すことになつていたことはあるが、賃金遅配状態のため、会社は全額の定時払ができず、組合より会社に準備のできた全額の直接支払を要求されて、全部これを支払つたため、控除の余地がなかつたのであつて、殊更組合の闘争力を弱めるため、組合費や闘争資金そのものの遅配や、使いこみをしたものではない。

(二)  賃金遅配について、

(イ)  昭和二十五年十二月五日当時会社経営不振と争議の連続のため、総額において、約一ケ月分に相当する金三百十六万九千二百三円(約三百名分)の賃金遅配となつていたことはあるが、約二ケ月分も遅配したことはない。そして右遅配額は、昭和二十六年一月十五日当時には、金四十五万八千七百六十四円に低減することができたのである。しかし当時の賃金支払方法は、全額支払が困難であつたため、従業員頭割り同額の内払がなされていたので、少数の高額所得者に対しては遅配が重なり、低額所得者については、全額払若しくは過払された者もできる状態であつた。

(ロ)  控訴人等に対しては、昭和二十五年十二月五日解雇通告に当り、各その未払賃金額を計算して、即時支払をするから受領すべき旨を通告し、被控訴会社は、その弁済の提供をしていたものである。

(ハ)  控訴人矢野齊士は、組合専従者であつたため、賃金はない。

(三)  離職票の交付拒否について、

被控訴会社は、控訴人等に渡すべき離職票は、すべてこれを準備していたものであつて、その交付要求を拒否したことはない。尤も昭和二十五年十二月六日より昭和二十六年一月十五日まで、極端な怠業状態が続いたため、被控訴会社は、昭和二十六年一月七日から同月十五日まで、争議手段として、工場閉鎖宣言をなし、これを実施した際、組合から現実に就業できないから、離職票を全員に出せ、との要求があり、これを拒否したことはあるが、それは控訴人等に対するものとは、全く無関係である。

(四)  立入禁止仮処分について、

被控訴会社の申請によつて、控訴人等主張のような内容の仮処分命令が発せられたことは争わない。

(五)  控訴人等その余の主張中、被控訴人従来の主張に反する部分は、すべてこれを否認する。

要するに、控訴人、被控訴人間の本件雇傭契約の消滅を無効とすべき事実上、法律上の理由は、存在しない。

と述べ、

証拠として、控訴代理人において、当審における控訴人矢野齊士、古家行利各本人尋問の結果を援用した外、いずれも原判決事実摘示のとおりであるから、ここにこれを引用する。

理由

当裁判所は、昭和二十六年一月中控訴人等が昭和二十五年十二月八日附で、被控訴会社に対し、退職届を提出し、被控訴人主張の退職金、解雇予告手当の外、特別退職金、社長餞別金等全部を受領したこと及び当時福岡地方裁判所小倉支部に係属中であつた被控訴人主張の訴訟三件が、いずれも取下となつたことは、当事者間に争がないものとし、且つ、後記理由を附加する外、原判決の示すところと同一の理由により、控訴人等の本訴請求を失当と認めるので、ここに原判決の理由記載を引用する(但し、原判決書十枚目表三行目「藤重千代一………」以下同四行目「右各証言により」とある部分までを、「藤重千代一の各証言、原審における被控訴会社代表者岡野正実本人尋問の結果並びに右各供述により」と改める)。当審における控訴人矢野齊士、古家行利各本人尋問の結果中右認定に添わない部分は、たやすく信用し難く、他に右認定を動かすに足る証拠はない。

控訴人等は、本件退職届の提出及び退職金等の受領に関し、それが控訴人等の自由意思に出たものではないものの如く、主張するので、この点について判断するに、当審における控訴人矢野齊士、古家行利各本人尋問の結果(いずれも一部)によれば、本件争議に際し、控訴人矢野齊士外三名が占領軍係官より呼出を受けたり、又被控訴会社側の申請に基く組合事務所を含む全工場への立入禁止仮処分命令の発布(右仮処分命令発布の点は、当事者間争がない)に伴い、控訴人等(但し、控訴人古家行利を除く)に対し、住居侵入罪の嫌疑で逮捕状が出され、その間控訴人等の家族が解雇反対闘争の中止について、被控訴会社側より説得を受けたりした事実があること、並びに本件争議当時被控訴会社が賃金、組合費、闘争資金等の支払を遅延していたこと等の事実(以上の支払遅延の事実は当事者間に争がない)があつて、これらの事実が、それぞれ控訴人等の本件退職届の提出、退職金等受領の一因となつたことを認め得られないでもないが、これがため、控訴人等が意思の自由を失つたと認むべき格別の証拠はない。(控訴人等は、なお、被控訴会社側に離職票の交付拒否、解雇予告手当の支払拒否の事実があつた、と主張するが、当審における控訴人矢野齊士本人尋問の結果中右離職票交付拒否に関する部分は直ちに信用し難く、却つて原審証人中村吉雄の証言によれば、離職票については、被控訴会社は、控訴人等の請求があれば、これを交付すべく準備していたものであるが、控訴人等よりその交付の請求を受けたことはなく、又退職願を出さねば渡されないとして交付を拒んだ事実もないことが窺われるし、又解雇予告手当については、控訴人等においてその受領を拒むので、被控訴会社は、これを弁済供託したものであることが、右証人中村吉雄の証言に徴して認められる)却つて原判決引用の各証拠に徴して明らかな如く、本件折衝に当り、控訴人等がその解雇に関する被控訴会社の妥協案に対し、退職届を提出しないで解雇の効力を争うか、或は右妥協案を承認して雇傭関係を合意で終了せしめるか、そのいずれかを選択する余地は残されていたのであり、控訴人等は、組合執行部の説得もあつて、諸般の事情を考慮した結果、不満ながらも解雇反対闘争を断念し、何等の異議を留めることなく、本件退職届を提出し、且つ、退職金等を受領したものであるから、控訴人等の前記主張は採用の限りでない。控訴人等は、控訴人等が本件退職届を提出し、且つ退職金を受領したのは、真に退職しようとする意思に出たものでない、と主張するけれども、前掲控訴人両名各本人尋問の結果右主張に添う部分は、信用し難く、他に右主張を肯定するに足る証拠はない。却つて控訴人等が前記被控訴会社の妥協案を承認し、退職金等を受領した経緯並びにその後本訴提起に至るまでの経過からすれば、控訴人等が本件退職届を提出し、且つ、退職金等を受領したのは、その真意に反しないものであり、被控訴会社としても、その真意を疑わなかつたればこそ、控訴人等に対し、正規の退職金の外、特別退職金、社長餞別金までも支給したものであると認められるから、民法第九十三条に依拠して、本件雇傭関係の合意による終了の効力を否定しようとする控訴人等の主張は理由がない。そして控訴人等主張の(一)乃至(八)の諸事実が控訴人等に退職届を出させるための被控訴会社の意識的な工作に出たものであると断ずべき格別の証拠のない本件において(右の諸事実のうち、離職票の交付拒否、解雇予告手当の支払拒否が控訴人等の主張を支持すべき理由を欠くことは、前記認定のとおりであり、又賃金、組合費、闘争資金等の支払遅延は、当時の会社経理の情勢上止むを得なかつたものであることは、原審証人富永茂、中村吉雄の各証言及び原審における被控訴会社代表者岡野正実本人尋問の結果に徴して認められるところである)、本件雇傭関係終了の合意に関する被控訴人主張を以て、直ちに公平の原則乃至クリーンハンドの原則に反するものとなし難い。更に控訴人等は、本件雇傭関係終了の合意について、民法第九十条違反を主張するが、右合意が労働組合法第七条第一号違反、すなわち、使用者の不当労働行為を容認する事項を内容とするものであることについては、これを認めるに足る証拠がなく、却つて控訴人等が有力な組合幹部であり、且つ熱心に組合活動をしていた事実が本件退職の原因をなしたものでないことは、原判決認定のとおりであるから、控訴人等の前記主張も、採用することができない。よつて控訴人等の本訴請求は失当として、これを排斥する外なく、右と同旨に出た原判決は相当で、本件控訴は理由がないから、民事訴訟法第三百八十四条、第八十九条、第九十三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 野田三夫 川井立夫 天野清治)

参照

原審判決の主文、事実および理由

主文

原告等の請求は之を棄却する。

訴訟費用は原告等の負担とする。

事実

原告等訴訟代理人は、「被告が原告等に対して昭和二十五年十二月八日附でなした解雇処分は無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として次のように述べた。即ち「被告岡野バルブ製造株式会社(以下会社と略称する。)は、門司市大字大里三、三五三番地に本店を有してバルブの製造販売を業となし、原告等はいづれも昭和二十五年十二月七日まで被告会社の従業員として雇傭され、被告会社の従業員で組織する全日本金属労働組合福岡支部岡野バルブ分会(以下組合と略称する。)の組合員であつたところ、被告会社は昭和二十五年十二月八日附で、原告等全員を何等理由を明示しないまゝ解雇した。

然しながら本件解雇は左の理由により無効である。

第一、当時はマツクアーサー書簡に基くレツドパージの流行した時代であり、被告会社の原告等に対する解雇も、右書簡に便乗したレツドパージではないかと思われる点がある。然りとすれば、本件解雇は労働者の信条を理由にした解雇であるから、憲法第十四条第一項、民法第九十条、労働基準法第三条に違反するものである。

第二、原告等に対する解雇が、右の如く信条を理由としたものでないとすれば、原告等が解雇当時及びその以前に熱心な組合活動家であつたことが解雇の原因になつたものとしか考えられない。然りとすれば、本件解雇は憲法第二十八条労働組合法第七条に違反するものである。

第三、本件解雇の手続は、被告会社と原告等の所属する組合との間に締結され、解雇当時効力を有していた労働協約第六条並に被告会社の従業員就業規則に違反している。労働協約第六条は組合員の解雇に関しては組合と協議して民主的且公平に行うことを規定し、就業規則第五十九条第四項はこのことを確認している。然るに本件解雇の一般的基準については会社と組合との間に極めて形式的・名目的な交渉がもたれたゞけで、協議という名に値する程の交渉はなされず、原告等各個人の問題については何等の交渉も協議もなされなかつた。

従つて前二項の主張が容れられないとしても、本件解雇は労働協約第六条並に就業規則第五十九条第四項の規定に違反するものである。

以上により明らかなように、被告会社の原告等に対する解雇は違法、無効であるから、その無効確認を求めるため本訴に及んだ。」次に被告の、原告等は任意退職をしたものとの主張に対し、「原告等は昭和二十六年一月頃昭和二十五年十二月八日附を以つて退職願を提出し、被告会社の規定に基く退職金、解雇予告手当の外、特別退職金、社長餞別金等全部を受領しているが、之は任意退職を認めた訳ではない、右退職金等の受領については、原告等全員で協議し、会社は赤字を装つて給料も遅配勝ちであり、又四十日間もストをしたゝめ原告等の生活は非常な困窮状態にあり、ストが終つたとはいえ現状のもとでは直ちに復職できる見込もないので、やむを得ず受領することになつたのであり、会社は退職願を提出しなければ退職金等を支給しないと云い、又原告等は失業保険金を貰う手続をするため、やむなく退職願を提出して右退職金等を受領したのである。然しながら、右退職金等を受領するにあたり、「本件解雇については何等の異議並に訴訟はしないとの附加契約」をしたことはなく、又領収書の末尾にその旨を記載したこともない。

なお、当時福岡地方裁判所小倉支部に繋属中であつた昭和二十五年(ワ)第七四二号解雇無効確認並に就労妨害排除請求事件、同年(モ)第二三七号仮処分異議事件、同年(ワ)第七六四号妨害予防請求事件が、いづれも被告主張の日時頃取下げられているけれども、之は当事者間に和解が成立したとか、解雇を承認するということを理由にしたものではない。結局当時の情勢から原告等の目的達成は不可能であり、このまゝ訴訟を繋属しても徒労であると考へられ、且被告会社からも右訴を取下げなければならない様な状態に追込まれたので、不本意ながら取下げたのである。」と陳述した。(立証省略)

被告訴訟代理人は主文記載同旨の判決を求め、答弁として次のように述べた。即ち

「被告会社は、門司市大字大里に本店を有してバルブの製造販売を業とし、原告等がいづれも昭和二十五年十二月七日まで被告会社の従業員として雇傭され、同会社の従業員で組織する全日本金属労働組合福岡支部岡野バルブ分会(以下組合と略称する。)の組合員であつた事実、原告等が同年十二月八日附で従業員たる資格を喪夫した事実、労働協約第六条、就業規則第五十九条第四項に原告等が主張するような規定が存した事実を除き、その余の原告等主張事実は全部否認する。

そもそも原告等は、共産党員又はその同調者として、その抱懐する共産主義思想に基いて常に職場その他に於て煽動的破壊的言動をなし、企業の円滑な運営を阻害混乱せしめ、ひいては企業の社会的使命の遂行を困難ならしめるのみならず、遂にはその存立すら危うくするに至る虞れがあつたので、企業の防衛上之を排除するのやむなきに至り、その決意をせさるを得なくなつた。よつて被告会社は、就業規則第五十九条(現行第六十条)第五号の「事業の都合上やむをえないもの」として、同条末項(組合員の解雇については組合と協議する。)及び労働協約第六条(会社は分会員の雇傭、解雇、異動、昇格、休職、賞罰等に関しては分会と協議して民主的且公平に之を行う。)に基いて組合と協議をつくした上、昭和二十五年十二月五日原告等に対し、「同月八日までに退職申出をするときは依願退職として取扱う。同日までにその申出がない場合は、同月九日を以て解雇する」旨通告したが、退職の申出がなかつたので、原告等はいづれも同月九日解雇となつたものである。

然しながら、組合及び原告等は右解雇に異議ありとして、

(イ) 昭和二十五年十二月七日組合及び原告等から解雇無効確認並に就労妨害排除請求の訴訟を福岡地方裁判所小倉支部に提起し、同庁昭和二十五年(ワ)第七四二号事件として繋属した。

(ロ) 一方被告会社は原告等に対する事業場えの立入禁止の仮処分をその頃同裁判所に申請し、同庁昭和二十五年(ヨ)第二二三号事件として立入禁止の仮処分命令があり、之に対して原告等から異議申立がなされ、同庁昭和二十五年(モ)第二三七号事件として繋属した。

(ハ) なお、右仮処分の本案訴訟として、被告会社から原告等を被告として妨害予防請求の訴を提起し、同庁昭和二十五年(ワ)第七六四号事件として繋属した。

右四件共その争点は何れも本件解雇の有効無効にあつたのであり、原告等が右各事件で解雇無効を主張する理由は、本件で原告等が主張するところと殆んど同一のものであり、被告が解雇を有効と主張する論拠も何等異るところはなかつた。

ところが、右各事件進行中、組合及び原告等と被告会社との間に右解雇に基く紛争の処置について折衝がすゝめられた結果、昭和二十六年一月中、

(イ) 原告等は昭和二十五年十二月八日附で退職願を出し、被告会社は同日附で原告等が依願退職したものとして取扱うこと。

(ロ) 被告会社は原告等に対し解雇手当金、普通退職金、特別退職金、特別退職金と同額の社長餞別金(この和解により被告会社が追加支給することに譲歩したもの)を支給すること。

(ハ) 組合及び原告等並に被告会社は、原告等と被告会社との雇傭関係の完全な消滅を相互に承認し、爾後この雇傭関係の消滅について訴訟は勿論何等の争をもしないこと。

(ニ) 前記各訴訟事件は、この和解を理由として双方取下げをなすこと。

等全部について完全な合意が成立し、かくて双方完全にその履行がなされて争は将来に向つても一切終結した。而してその後二年半何等このことに関して双方共紛議等生ぜしめたことなく、相互に安定した秩序は維持継続されてきたものであつて、原告等は各独立の事業を営み或は第三者との雇傭関係に入つている状態である。

之を要するに、原告等は被告会社を円満退職し、原告等と被告会社との雇傭関係は双方の合意により終了消滅したものであつて、原告等は本件解雇の効力を争う権利を有せず、今日に至り事を構えて解雇の無効を主張する如きは、継続的人格信頼関係を基礎とする雇傭関係を余りにも軽視し、信義に違背するものといわなければならない。」(立証省略)

理由

被告岡野バルブ製造株式会社(以下会社と略称する。)はバルブの製造販売を業とし、原告等はいづれも昭和二十五年十二月七日迄被告会社の従業員として雇傭され、同会社の従業員で組織する全日本金属労働組合福岡支部岡野バルブ分会(以下組合と略称する。)の組合員であつた事実は当事者間に争がないところである。

而して成立に争のない甲第一、二号証、同第五号証、同第七号証乃至第十二号証の各一、二、乙第二号証の一乃至六、同第四号証の一乃至四、同第五号証の一、二、同第六号証の一乃至六及び証人富永茂、中村吉雄、藤重千代一、岡野正実の各証言並びに右各証言により真正に成立したと認むべき乙第一号証、同第三号証の一乃至六を綜合すれば、次のようなことが認められる。

即ち「被告会社は昭和二十五年十一月初旬頃に至り、「会社の経営秩序、職場秩序を紊乱破壊し、或は斯様な行為を煽動し、更には会社復興のための生産計画其他業務の運営につき著しく非協力的態度に出て其の正常な運営を阻害し、従業員を煽動して事の是非如何に拘らず日常茶飯事の如く反対の為めの反対をする、」一部従業員を企業防衛の立場から排除して会社の生産及経営の秩序を回復することを決意し、先づ全従業員につき右基準に該当する言動の有無を調査し、多年に亘り累積した是等の言動につき現場管理担当者の長年月に亘る報告、意見及び会社幹部の実際に見聞したところ、その他一切の資料を綜合検討した結果、原告等を基準該当者と判定し、同人等を企業内から排除するのやむなきことを決定した。然しながら、なるべく会社の措置を納得して依願退職(法律的には雇傭関係の合意による終了)をしてもらう為、依願退職者には法規所定の解雇予告手当及び会社規定による退職金の外に特別退職金等を加給することゝして、昭和二十五年十二月五日附の各個人宛通告書を以つて、原告等に対し合意による雇傭関係終了の申入をなし、同月八日までに右申入を承諾して退職願を提出するよう勧告し、同日までに依願退職を受諾した場合には、解雇予告手当の外退職金及び特別退職金を支給すべき旨、及び若し同日までに退職の申出なきときは、同月九日付を以つて、右通告書を辞令に代えて同日解雇予告手当、退職金を提供した上解雇する旨停止条件附解雇の意思表示をなし、右通告は翌十二月六日原告等に到達した。なお、一方被告会社は十二月五日組合と団体交渉をなし、その席上社長より今回の解雇の趣旨、前示解雇基準、同基準該当者(原告等)の氏名、同該当者に退職してもらわねばならなくなつた理由等を詳細説明した外、原告等各本人に対しては、所属部課長を通じて略同様の説明をなし、併せて円満退職(依願退職)を勧告した。右団体交渉の席上、原告等中矢野齊士、椛山隼夫、池田広二、古家行利の四名が交渉委員として出席していたことゝて反対の発言活溌であり、会社側は交渉の混乱を避ける為先づ今回の解雇理由とした前示基準を原則的に組合側に承諾させた上で具体的な問題の協議に入ろうとするに対し、組合側交渉委員はそのようなものは居ないからかゝる基準につき協議の要なしという態度で、解雇それ自体に真向から総括的に反対する態度を示したので、交渉は冒頭から波瀾をよび、前後約六時間を費して尚且妥結の見込がなかつた。その後、団体交渉の場所につき会社と組合の意見一致せず、会社側は、当時原告等に対して裁判所の後記仮処分決定による立入禁止命令が発せられたので、原告等を加えての団体交渉ならば社外で開く、社内での団体交渉ならば原告等が出席することは仮処分命令の趣旨に反するからその出席を見合わせられたいと主張し、組合側は之に対し、原告等全員を交渉委員に含めて社内に於て団体交渉をなすべき旨を主張して互に譲らず、このため団体交渉は中絶したまゝとなつていた。かくして会社が退職願提出期限として指示した十二月八日は経過してしまつたが、原告等は退職願を提出せず、退職金等も受領しなかつたので、会社は十二月九日附を以つて、原告等に対し解雇通知書を発送した。なお、その間、組合及び原告等は右解雇に異議ありとして、被告会社を相手方とし福岡地方裁判所小倉支部に対し本件解雇無効確認並に就労妨害排除請求の訴訟を提起し、同庁昭和二十五年(ワ)第七四二号事件として繋属し、一方被告会社は原告等に対する事業場えの立入禁止仮処分を申請し、前同庁同年(ヨ)第二二三号事件として立入禁止の仮処分命令があり、之に対し原告等から異議申立がなされ、同庁同年(モ)第二三七号事件として繋属、なお右仮処分の本案訴訟として、被告会社から原告等を相手方として妨害予防請求の訴を提起し、同庁同年(ワ)第七六四号事件として繋属した。然しながら、その後組合側は譲歩して社外に於ける団体交渉を承諾したので、原告等の解雇問題及び組合の越年資金要求をめぐつて再び団体交渉が開かれたが、結局翌昭和二十六年一月十四日に至つて、組合執行部は予て会社から示されていた妥協案を受諾することに決し、原告等を説得した結果、原告等もやむを得ずとして之を承認したので、原告等を除き組合執行委員全部と会社側の代表者出席の上、「会社は原告等が昭和二十五年十二月八日附で退職願を提出し依願退職することを条件として、さきになした解雇の意思表示を徹回し、原告等が前記通告書に記載された十二月八日附を以つて依願退職の承諾をなしたものとする。従つて前示通告書並びに組合えの申入書に記載した法規所定の解雇予告手当、会社規定による退職金及び会社がさきに十二月八日までに依願退職(雇傭関係の合意による終了)した場合でなければ支払わないことを明示した特別退職金を原告等に支給する外、新に右特別退職金と同額の社長餞別金を支給する旨」を記載した協定書に双方の代表者が署名捺印し、原告等も之を受諾した。(右協定書は翌十五日の組合大会で承認され、その上で調印された。)よつて原告等は二、三日後の一月十七、八日頃何等の異議を留保することなく退職願を会社に提出し、同月二十二、三日頃前記協定書通り、法規所定の解雇予告手当の外、会社規定による退職金、依願退職(雇傭関係の合意による終了)の場合のみ支給することを会社が明示した特別退職金及び前記協定により新に支給することゝなつた社長餞別金を何等の異議を留めずして受領した上、「爾後退職に関して何等の異議又は一切の訴訟をなさないことを申添えます。」と附記した領収書を提出し、なお原告等は退職に伴う諸給与を受領する為会社に赴いた際、原告等中、池田を除く他の五名は社長に対し、色々紛争を重ね面倒をかけたが之で全部解決したので将来何かと援助を望む旨の挨拶をなして辞去し、その後原告等は昭和二十六年二月三日に至り、福岡地方裁判所小倉支部に提訴中であつた解雇無効確認並に就労妨害排除請求事件の本案訴訟及び右解雇に関する仮処分異議申立事件につき、一方会社は同年四月二十三日に至り同裁判所に提訴中であつた妨害予防請求事件につき、いづれも同裁判所に「今般示談解決したので取下げ致します」と記載した各取下書を提出し、夫々相手方の同意を得て之を取下げたのである。而して原告等はそれより二年半の間会社に対して退職につき異議を述べるとか、或は復職の要求をしたこともなかつたところ、昭和二十八年六月に至つて突如本件訴訟を提起したものである。」

もつとも原告等は、昭和二十五年十二月八日附を以つて退職願を提出し退職金等を受領しているが、之は任意退職を認めた訳ではなく、又前訴訟事件を取下げたのは、当事者間に和解が成立したとか、解雇を承認するということを理由にしたものではない、と主張するが、いづれもかゝる事実を認むるに足る証拠がないので採用することはできない。

以上認定の事実によれば、原告等が当初会社の条件付解雇通知に対して不満であつたことは充分察し得られるけれども、結局原告等と被告会社との雇傭関係は前記協定に基く合意によつて終了していることは極めて明白であるから、解雇のあつたことを前提とし、その無効確認を求める原告の本訴請求は、爾余の判断を俟つまでもなく失当として之を棄却しなければならない。よつて訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八十九条、第九十三条第一項を適用して主文のように判決する。(昭和二十九年六月一九日福岡地方裁判所小倉支部判決)

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